休学生の一日[day334]

 

机上は未開封のWSJにレイプされ、理論物理学教程らが投げやりにそれを見守っている。

 

動けない。

1日の大半を睡眠が占め、起きても怠さや悲しさに気持ちが持っていかれる。


ここ数ヶ月、休日になると動けなくなる症候群が続いている。
そして悲しみを引きずったまま6号車に乗車し、数回の飲食と自分なりの無償の笑顔を振りまいたおかげでハイな状態で帰宅し不必要に高ぶった気持ちを浮かべたまま無為に過ごすという繰り返しである。

 

何故動けなくなるのか自分なりに考えた結果、どうやら僕は人並みに活動できていないことが分かった。

 

人並みに行動出来ないことのデメリットはまあ計り知れないものがあるが、僕は前向きな人間だし、そういうものは考えないようにしている。考えたところで悲しみを熟成するだけだし、別に美味しくならないし、だったら痴呆的微笑を浮かべている方がまだマシというものだ。
というわけで、18時まで僕は今日という日を横になって過ごした。たまたま連休だったので、2日も風呂に入らず、寝ては起きてを繰り返しいくつかの映画を観た。グラン・トリノイーストウッドはなかなか理想形の老後であったし、セント・オブ・ウーマンのシムズやヒア・アフターの双子は聡いところが雰囲気に出ているのが好ましかった。こういう清き存在は生きていく希望になる。
部屋は買い物袋と少しのゴミとクシャクシャの洋服だらけになり、足の踏み場はまあ確保されているにせよ到底褒められた状態ではなかったが、仕方ないのでそれ以上に何の感想も抱かなかった。

結局、日が沈む頃に彼女から連絡が入ったことによりテンションが上がり行動活性が高まった結果この文章が生成されているわけだが、彼女がいなければ明日も6号車で同じ悲しみをたたえているところであった。だが、当然彼女に依存するわけにはいかないし、そんな危うい存在に自らを委ねたくもなく、むしろ頼れる男でありたい訳だから、自力で手を打つことにした。

 

そのうち体系的に記事にまとめるが、過去に自分が動けていた時期を思い返すと、このような対処法を行なっていたことを幸運にも思いだした。


1.状況を認識する
2.セルフカウンセリングする
3.目標を確認する
4.以上のステップを踏まえた上で意図的に休息する

 

1.まず、自分が置かれている状況を認識する。これにより自分の身に何が起こっているのか自覚的になれる。悲しみには流されやすいものだ。まずは流れの中で立ち止まって、周りをみてみる。自分のことや周りのことが分かったりしてくると、気分は結構マシになる。不幸中の幸いみたいなものだ。
2.その上で、自分を癒す作業に取り掛かる。ここで大事なのが、もう一人のボクを用意することである。このとき、闇◯◯を召喚してはならない。というか現状そのものが闇なのだから、光のボクを召喚してやってほしい。光のボクは理想形を想定していい。例えば自分なら、ジョージレーゼンビーの007や、バリバリに仕事ができ可能な限り容姿端麗になった頼れる未来の自分を思い浮かべる。彼と僕が二人きりで面談するのだ。彼なら怯えて猫背になって、顔色も優れず今にも椅子から落ちそうな自分自身に何と声をかけて励ますだろうかと考え、実際に想像してみる。未来の僕ならきっと靴を履いてみるかい?とか言ってエドワードグリーンのチェルシーを差し出してくれるだろうし(僕は革靴が好きなのだ)、乱暴な運転で雪山に連れてもらってスキーを教えてくれるかもしれない。
3.大分気が楽になったら、自分はどうしてみたいのか考えてみる。答えは一つしかなく、動けるようになりたい、である。単純であるが、何をすべきか分かるというのはとても大事だし、安心することだ。何かで新人だった頃のことを思い出せば、容易に想像がつくはずだ。
4.何をすべきか、そしてその精神的な裏付けが取れるので、これでめでたしである。だが、すぐには立ち上がらない。静かにやる気が漲ってくるのを横になりながら待つ。休息というものは意図せず取れないと考えている。意図せず取るもの、それはもはや休息ではないからだ。それは平時の食事ではなく貴重な非常食を消費している発想に近い。満ち満ちてもう動きたいとなったら、今度こそめでたく復活である。

 

あくまでこの方法は僕個人に効くものであるから、自分にオリジナルの方法があるということだけ認識してほしい。自分で何でも出来れば、それが最強だ。だが多くの人々は最初から理想形を否定する。僕は前向きだから、最強に近付きたいと思ってしまった。ただそれだけだ。

 

まあともかく、この方法であっさり精神を安定させることに成功した。
月末に試験を控えているので大変助かった。そして思い出せてよかった。
クルジャンの香水が欲しい。部屋を片付けねば。

 

 

広告を非表示にする

休学生の一日 [day255]

おれは今年度の院試を諦めた。

大学に復帰することすらままならない。とてもじゃないが、半期で40単位取得するのはこの体調では無理だ。復帰できなければ、院試を受ける意味もない。受かっても付いていけない。吐き気、悪寒、倦怠感、無気力、疲労感。呼吸をするたびに吐き気を感じながらこの文章を書いている。できる限り排除につとめてはいる。が、止められない。何をしたらいいのかぼやけてしまう。絶望を感じる。

しかし、おれはおれの人生を諦めたくない。今出来ることをやり(あるいはやめ)、回復に向けて可能な限りの策を考え実行する。時間がかかることを受け入れなくてはならない。多くの犠牲も伴うだろう。既にたくさんのことを諦めてきた。いつものことだ。

 

おれは運が悪かった。だがこれからも手は打ち続ける。

 

時は金以上の価値がある。人はいつか死ぬ。刹那的な物質主義に囚われるのはやめた。そんなのは生きるエネルギーを持て余している人がやればいい。おれには精神生活を遂行する余裕しかない。

だから、まず時間の使い方を改めることにした。ただでさえ動けない時間が多いというのに、その限られた時間で何をするかは決まっている。金を稼ぐこと(回復に向けた試行による借金の返済)、本を読むこと。まず、この2点ははずせない。

次に、自分のやりたいと思われる(残念ながら、自分でそこまで強く感じることができないが、相対的にはマシな)ことを捻り出した余暇でやる。身体を鍛えたり文章を書く。他にも趣味らしきものはあった気がするが、忘れた。余暇が必要な理由は、人間らしさを求めることにある。感情的になり、人間的でいられる。それは今のおれには足りないものであり、回復に必要な条件の一つである。

 

あとはそれを一日の中でどのような配分で行うかだ。

おれは長い間、朝は集中できるという論に懐疑的であった。低血圧だからだ。

だが、よくよく考えてみると確かに朝の仕事中など、相対的に見れば集中力が高いことに気がついた。

なので、この時間帯で書物を読む。昼間は仕事か休む。夜はなるべく人間らしく生きることに努める。

まあ、今までやってきたこととそう変わりはない。今のおれに大事なのは、安定感である。安定感があれば、変化を加える余裕が出る。変化があれば、それは安定に繋がる。もちろん逆も然りだが、それはこれから避ければいいだけの話なのだ。

その安定感の積み重ねが日々を担保する。おれにとって日々が確実なことは欠かせない。

死にたい気持ちに胸をいっぱいにしながら、布団から一日出られないことも多い。でもそれは必要なことなのだ。日々の疲労を身体が取り返そうとしてくれている。そう考えられれば、無駄な日ではなかったと思える。何日も寝たきりだとしても。そこから得られるものはある。どれだけの動きに対し、どれだけの休みが必要だったのか分かる。

 

この安定感を求める日々の繰り返しの先に、周囲と自分を比較しないことを身につけた。

皆が皆自分の持てるエネルギーを80~100%発揮して生きている。中には運良くそれ以上の人もいる。

その中でおれは40~60%の日々を繰り返す。先天的な能力に頼み、何とか平均以上の成果は上げてきたが、とてもじゃないが本領発揮とはいかない10年間。

何故おれが。そう自問して悩む日々も続いた。

だが、現代のエネルギー生産量による実質的階級社会で、人はその人らしい環境に落ち着くとおれは思う。おれは大学生活を真性のぼっちで過ごし、休みの日は部屋にこもることにも慣れ、孤独を手に入れた。孤独であることにも悩んだ時期があった。だが、それは慣れることができる。何故なら、自分らしいことだからだ。

自分らしさを手に入れ、おれにはおれの揺るぎない価値があると確信した。その時、比較することにはあまり意味がないと感じるようになった。皆、比べるには余りにも違いすぎる。

そういうわけで、おれは今、安定感を持って生活できているといえる。

 

うつの回復には平均4~5年かかるというデータを見つけた。おれはキャリアが10年あるから、30代にまで差し掛かることは覚悟している。

ただ、もっと早くことは済むのかもしれない。

それは誰にもわからないことなのだ。ただ、打てる手を機関銃のように打ち込んで行くしかないのだ。

 

新たに、カウンセリングと均整院を予約した。

カウンセリングが心にフォーカスしたものであるなら、均整院は身体の働きにフォーカスしている。おれの通っている精神科はその折衷といったところか。

 

何故だか分からないが、これ以上手が打てないという状況は存在しないと感じている。

それがおれのただ一つの希望である。

広告を非表示にする

休学生の一日[day238]

 前回、うつと無気力に関して簡単にお話しした。アスリートと同じように気を配っていると言ったが、それについては明らかに説明不足の感があったので補足等する。これはあくまで軽症の一ケースであることを踏まえていただきたい。

 

 今日も労働を終えた。月間120時間の労働に加え、300時間の勉強をこなす日々。おれが思うに、人生はエネルギー量で決まる。例えば底辺校の学生を見ると、明らかに生気のないのがわんさかいるのは経験上わかると思う。ぼんやりとしている。おれはうつというエネルギーを無駄遣いする状態に陥ったため、相当量の時間をぼんやりと生きてきたつもりであるが、なまじ地頭が良いあまり、進学校に行き普通の大学にも行けた。だがこの状態に甘んじるわけにはいかない心持ちであることは数少ない読者の皆さんにはお分かりのことと思う。

 ただ、おれの運動量は医療制度の恩恵を受けている人間にしては中々のものであるから、その点何に気をつけているか記していきたい。これは先述した気配りの話である。まず自分の身体に何が起こっているのか把握すること。知ったかぶって吸収率が云々など生理学的なあれこれを記述する必要は一切ない。あ、真島生理学、借りるの忘れてた。。ともかく、眠いなら眠いと分かっていることが大事である。これは基本だが、現代社会では様々な外的要因によってこの自分の状態の把握が難しくなっている。コーヒーを飲めば眠気があまりしなくなるし、Twitterで筋トレなアカウントを見ればおれも男らしくなろうとあっさり思ってしまうわけである。これは一種の麻痺であり、目くらましである。すべきは、自分で自分を定義する作業だ。それが状態であれ、思想であれ。凡庸な言い方をすれば、自分と向き合うということになる。

 自分と向き合うこととどのようなことが起こるか。まず外的要因に左右されないので、安定した運動量を確保できるようになる。また、自分のメンタルもある程度コントロールできるようになる。さらに、自分のことが分かるようになる。分かると人間、何故だか楽しくなってくるもので、少なくともポジティブな気持ちにはなれる。

 こうして運動するための素地はできた。次に、運動を続けるための細かなルールを設ける。ルールがあることで、余計な考えを排することができ、エネルギーを集中して投下できるようになる。集中して投下されたエネルギーは当然、大きな力を生みやすい。おれの例だと、起床後はTwitterやゲームなど目に疲労の起きやすいものを処理、午前中にダイナミックストレッチ、仕事中はソールの厚めの靴を履くことで疲労を軽減、精神的な疲労はすぐ文書化、肉体的疲労は翌日の状況を想定した上で行動に制約をかけ対処、自由な読書は夜中、ワークアウトは就寝前、常に新しい組み合わせの洋服を着る、水は常温で保存したものを1日1ℓまで、サプリメントは厳選したものを少量、などとルールを作る。自然にできるものがよい。経験則から失敗を予測し排除する方法も有効だ。十分に効果がある。

 エネルギーが確保され、そして拡大し投下されるまでのプロセスを述べた。細かなルールは他にいくらでもある。大まかな流れとしてこれを把握し実践すればよい。ただ、これがとても難しい。特に自分の状態を把握することは困難を極める。ゆえ誤った行動に走り破滅的な一日を送ってしまうこともあり得る。しかし、それだけのリスクがあるのだから、少なくともおれは日々細心の注意を払って生活しているつもりだ。

 

 

 今日は働きづめだった。若い女の子のゴシップを横目に、とにかく同じ作業を繰り返す。何故こんなことをしているのだろうか。学費のためなどと高尚な理由は持っているが、既にカードローンを組んでおり借り入れ準備は万端である。無収入でも後期の学費は調達できる。ただ、おれは自分の生活をより豊かなものにしたい。愛する人により良く見られたい。まだ知らぬことを知りたい。そうやって刹那的ではあるが楽しさ、快感を得ることは感性の落ちた今の自分にはとても重要なことだ。その内お金で時間を買いたくなる時期がやってくるのだから、そういう理由で借金にも躊躇いがない。返済もちゃんとしているのだから。試験が近く、確実な合格を目指すためにおれは睡眠時間を削る覚悟を決めた。7時間半睡眠から、4時間半に。数ヶ月という長丁場ではあるが、明確なプランが見えているので問題はない。睡眠時間を削るということは、それだけリスクを負うことである。日常のすべての挙動に注意を払って、改善していく必要がある。

 

 久々に服を買った。ユニクロのセールコーナーが好きだ。仕事用のジーパン二枚と裸体用のカーディガン二枚、+Jのシャツ二枚。あとヴィンテージのパジャマ感あるトレーナー、年代不明だがやけに質感のいいリーバイス。多分濃紺を黒で染めてる。ルイジボレッリのシャツに、ダブルの麻のジャケット。先端のファッション理論は多少なりとも理解しているが、あれは好みとかそういうレベルの話ではないので、普通に脱落。おれのスタンスとしては、自分の素体を殺すことなく品良くあってほしい。ときに素体を活かしたい。おれは訳のわからない形の服を着て個性感を出す人々はあまり好ましく思っていない。同様に薀蓄を並べ立てる面倒臭い服も。語るならその前にその素体どうにかしたら?と思うところがよくある。素体ありきの服なのだから。

 

 何か新しい香水が欲しいな。あと日焼け止めも買わなくちゃね。

 

 

 

広告を非表示にする

休学生の一日 [day230]

  うつと無気力について雑感。

 

  おれは医者からうつ病と診断されている。20代にして既に10年以上経過しているベテランである。

  人が目の前の人間がうつ病と聞いて取る反応は二種類ある。一つはある種の受容つまり手慰めであり、もう一つは拒絶である。後者は分かりやすいので省略する。前者が指すものは同情であったり、個人的な想像である。何故手慰めと表現したか、正にどうにもならないからだ。虚しさしか残らない。

  さておき、こういう状態に置かれると孤立を深めてしまうのは想像に難くないだろう。運が良くても精神的には孤立する。そういう人間は、各々の具体的症状と向き合いながら、高度に自律的な生活を育む必要が生じる。その必要のもとにうつ病患者は、各々のやり方で、日々を遂行している。

  その日々を阻害する要因として一つ、無気力がある。軽傷うつのおれの場合、これは主症状の一つであると言っても過言ではない。何故無気力になるのだろうか。動けなくなってみて考える。7時間半ちゃんと寝ても、起きられない。怠い。何故だろう。昨日食べ過ぎたせいか?じゃあ食事量を減らしてみようか。それで良くなる時もあれば、今みたく二連休を殆ど横になって過ごす時もある。対症療法的な様々を行ってみて、最も効果があると感じているのは日記をつけることだ。おれは冷血人間だから、手書きなどと血のかよった方法は取りたくない。だから、メモ帳に日記をつける。思ったことを書くだけだ。それが自分には結構面白く、今現在も気力の高まりを感じている。ほかの効能としては、自分の思っていることを可視化できる。病的な状態に陥ると症状とその対処に追われることになり、自分の気持ちなど横に置いておいてしまう。しかし、うつは心の何かがうまく機能していないから発生するわけで、ならばその心に目を向けてみようという発想が日記である。セルフカウンセリングのようなものだ。利点は、リスクとコストがゼロだということである。

  では日記を毎日付ければいいのではないか。そうなのだ。だが見てほしい。150日で4記事しか書いていないこのブログを。メモ帳にはもう少しだけ書いている程度。これが無気力の強さである。無気力が常習的に発生すると、まず継続して何かを行うことが不可能になり、社会的地位の確立はほぼ不可能になる。これがうつ=人生終了説である。けして我々は早まっているのではなく、じっさいに早いのである。あまりにも残酷に予見できるその未来を日々の無気力の継続が担保する。

  しかしおれは諦めない。アスリートは、肉体の働きを最大限に引き出すため日々に気を払っている。同じように、おれは、精神の働きを最大限に引き出すため日々に気を払っている。おれの主症状は、頭の働きが鈍くなってしまっていることだ。記憶力も、思考の奥深みもなく、常に霧がかった感覚にある。まだ若く、野心も旺盛なおれが部屋の中に篭りっきりなんてあんまりだ。ただ、現実は人生の終了に向かってゆっくりと進んでいるのかもしれない。ただそれをいうのなら、死も同列である。死に比すればなんてこともないという意見もあるが、それは運よく生きてこられただけの話だ。死より辛いことはたくさんある。それは自ら死んでゆく人びとが教えてくれる通りである。話が逸れたが、死も同列で、大したことがないときている。おれは自分を奮い立たせるためにこの文章を書いているというのに、どうも寿命を縮めてしまいがちな現実と共存せねばならないらしい。

  おれのいいところは、切り替えが結構早いところだ。上に書いたことも一理ある。それはそれでいいのだ。だがおれはそれ以上にもっともっと進歩的でありたいし、まだ見ぬものを見てみたいし、まだ出会っていないものに出会ってみたい。好奇心が旺盛なのだ。それを阻害する要因としての無気力を今度こそ前向きに考察したい。

  無気力は、誰にでも起こりうるものだ。様々な心の揺れ動き、時間によるなんとなく、これ以上ない満足と失望、理由は様々。ゆえ、対策も様々である。だから、各々が各々のやり方で戦うしかないのだが、病的状態の人間の無気力は、健常者のそれと比して、一段高いフィールドでの勝負になってくることを前もっておきたい。これは単純な話で、我々にとってのそれは強く長引きやすく、場合によっては死に至るのだ。だから、アスリートとわざわざ並べて書く必要すら出てくる。

  高いフィールドでの勝負は、皆が見たくなるものだ。だから、一定の需要があると考えここに自分なりの対策を記していきたい。まず、好きなことをやる。うつになると、まず好きという概念が崩壊した。そこまで強い気持ちが起きない。なので、正確にいうとやりたいことをやる。食べたいものを食べ、行為したいときにし、寝たいときに寝る。これは基本的欲求であるから、皆がやってみたいことではないかと思う(もしそうでないのなら、是非お会いしたい)。ここでマズローなどを引用するのは野暮である。死に向かう自己実現だってある。ただこれではいささか正確さに欠けているので、、、と延々と脇道に逸れること間違いない。それに、おれの専門外だから自分の経験から来る言葉で話す。

   基本的欲求が満たされると、次に娯楽を求めはじめる。楽しいことは皆好きなのだ。おれも例外でなく、動けるようになったら勉強なんてせずゲームをしたりアニメを見たり、女の子と遊んだりする。元々休まねばならない身なのだから、一切罪悪感は感じない。ただ、正直にいうと楽しいわけではない。楽なだけだ。何かすることのある自分を感じられるそのちょっとした充実感、あるいは気を紛らわすことのできる時間に何とか絞り出したエネルギーを投下しているだけだ。エネルギーが暇という毒物に変化しないように昇華してやるだけのことなのだ。

  娯楽によって暇が潰されてきたころ、ようやく将来に向けた継続的な目標について考えだす。考えるだけだ。行動しない。何故なら無気力が常習的になっているからだ。特に、集中して物事に取り組むといったことが困難である。とにかく、楽をできるまでのステップが大事である。

  ここに至るまでに、嫉妬や怒り、悲しみなど人と比べたり自分の境遇を噛みしめることでたくさんの辛い思いをしてきた。しかし、今ではわかる。それらは無駄ではなかった。ただ、やはり感性は落ちており、必ずしもハッピーになっているわけではない。それについてはこれから述べる。

  上に書いたが、逆に未来が予見できれば継続は担保できる。9割の人間は、三日坊主という言葉に合点が行くだろうが、実は人間、そうそう飽きっぽいということはない。給料がひと月先に入って来るから、31日間も継続して努力できているではないか。給料が理由でないのなら、高尚でなお良い。

  このように、利益が得られると分かっていることに関しては努力できるのが人間である。ただ、感性が落ちていると、経験上分かっている事柄に関しても未来を予測し感じ取ることが困難になる。よって達成することもまた困難になる。これは目標が長期に渡れば渡るほど顕著に現れる。つまり、おれの場合、短期で終了する物事を連続して継続することが最も具合が良いということになる。

  長期に渡る目標も、納得行くまで分割すればいいという考えもある。しかし、結局遠大な目標を目指すという視点を持ってしまう。意識せざるを得ない。この時点で敗北が濃厚なのである。ゆえに、基本的に目標は持たないのが正解になる。持っても短期的に終了するもの。

  とにかく、何かを達成するにはそれを馬鹿みたいに予見できることが大事である。例えば、一冊の古典を読み終えたい。それを読了できる知性を所持していると仮定して、概ね1週間はかかると予見する。更に、無気力状態を想定しよう。さあいつになるだろうか。もう曖昧になってくる。こうして、これは遠大な目標だったとわかるわけだ。一方、横になりたいという目標があるとする。おれの部屋は、今日たまたま万年床状態なので、身体を右斜め後ろにひねり、一度右手を床につけてから下半身を移動させ、それから腰を仰向けにし最後に上半身も同じようにして天を向き身体を地と一体とすることで横になるというわけだ。これは、横になりたいという目標を達成するためのステップなのだが、実に馬鹿みたいによく分かっていることが伝わってくることと思う。これを応用する。

  このように、大事なことが何なのか分かっていても、つまらない段階からすでにうまくいかないことはよくある事なのだ。だから、それを想定して、あるいは経験からできる限り失敗を避ける。そして、馬鹿みたいに物事を考え分解し理解していく。そうすると、徐々にだが、うまくいくようになってくる。例えば今で言えば、無気力の話がまるきし出なくなった。これが今回の一つの成果である。

  今回は全体的に不足の感もあるが、姿勢の話として、ここで筆を置きたい。

広告を非表示にする

休学生の一日[day119]

金がない。

  恐らく平均的学生の永遠の悩みだろう。例に漏れずおれも金欠に苦しんでいる。月収9万近く稼いでいるにもかかわらず。理由は家に入れるお金の多さ、嵩むデート代、さらにプロテインや本に生活用品全般の必需品による。これにより時に分割さらにはリボルビングに手を出す羽目になり、外に2桁の借金もできたことで所持するクレジットカードは4枚を数え、常に来月の給与分でやりくりしているという有様だ。もしおれに友人がいたら、「え、〇〇それはヤバくね?」北星のリテラシーなりの口調で明に諭されるだろう。おれはそういう生産性のない指摘が大嫌いだから、こういう時に孤独もいいなとしみじみ思う。おれはおれなりにうまくやっているし、それは個人で完結する問題なのだから放っておいてくれ。

  最近、寝起きがよい気がする。アルバイトを仕事と形容すると草が生えるエコロジーな環境思想の持ち主もいるようだが、ひきかえおれは環境にあまり関心を持っていないから、やっぱり仕事だと思っている。自分が他人に何かできることはないか、またそう考え続け実行することで何が起こるのか理解しているから、学生の仕事とはいえある程度の重さを感じて取り組んでいる。おれは人の寝ている時間から働いているから、体調管理に気を配る必要がある。最近気がついたのだが、休日に1時間半遅く起床するよう設定すると上手くいく。これにより9時間寝ては3時間寝ての波が弱くなり、6時間平均の睡眠を守っている。寝る時間を確定させ、それに合わせて動けばいいだけのことなので、さほど大した問題ではないかもしれない。が、これにより行動活性の上昇、食欲増進などの効果が出たので規則を作ることは時として大事であることを今一度頭に叩き込むべきだ。何故軍隊があれほど規則正しいのか。命が懸かる状況ではもちろんフルパワーを発揮しなくてはならない。その為には規則が求められる。規則がなければ命は簡単に失われてしまう。それと無縁な生活を送る我々だけども、フルパワーを発揮したいのはまあ、おれだけかもしれないが、ともかくおれはそういう理由で規則を重んじる。


  ある面談があった。入学試験があると伝えるとどこに進学するのか尋ねられたので、東京大学、東京こうぎょ「頭良いんだねえ!」と驚かれた。東工大。。まあどう思われようが知ったこっちゃないが、今迄気がつかなかったのならおれの頭は大したことはない。ともかく、こちらとしては準備が整いつつあるし、十二分に射程圏内に入っているわけで、個人で完結する問題なのだから放っておいてくれ。

 

  佐川はまた遅延した。いつものことだ。佐川は遅延を運んでいる。一方こちらはPDCAサイクルを覚え、まるで意識の高い大学生がここに誕生してしまった。初めて知ったのは5年ほど前のことで、その時は社会人って意外と単純なことをやっているんだなという印象だったが、色々な作業を同時並行で進めていくにはとてもよいものの考え方だなと今は感心している。これによりおれのあらゆる生活がPDCAされることになり、高速で前進している。

 

  と言いたいところなのだが、ここでうつ症状が出てしまう。どうも9時間程度動いたあと、一般の人でいう夕方に憂鬱感が酷くなり無気力状態が併発。完全に動けなくなる。おれとしては立ち止まることの重要性を再認識する良い機会として、このうつ状態を大切にしたいと考えた。元々長期的に付き合うべく問題なので、これも想定に入れた上でスケジューリングする。

 

  時間はある。

 

広告を非表示にする

休学生の一日[day54]

8時26分に起きる。

 

   なぜこんな細かい数字を覚えているかって?それは意識しているからだ。少なくともおれに関しては、意識しないと何も覚えられないし、また意識しただけでは何も覚えていられないことも分かっている。まあ、そんなことはどうでもいい。寒いし、調子が良くない。だからカーテンは開けない。どちらにせよ冬景色でどの季節よりも外は輝いている。心地のいい明るさだった。テーブルにはいつも切りたての林檎が置いてある。今日のは美味い。どこのだろう。皮の朱い林檎は美味しいと思う。卵をかき混ぜ熱し、パセリを乗せた欧風のスクランブルエッグのようなものが出てくる。白ご飯か。おれは単調な食事が嫌いだから、生卵を追加しようとするが、そのままやると厳しい指摘を受ける。主婦は卵を無駄遣いしない。だから飄々とした雰囲気で当然のように卵を割る。これが朝食におけるおれのチェックメイトだ。

 

   今日は月曜日だから、胸の日だ。BCAAを飲む。血中濃度が最大になるまでに45分かかるから、いつも通り愛を取り戻そうとしなくなったオープニングを冷めたハートで流し、南斗五車星の行く末を見守った。幾つかの雑事を済ませ、それからおれのワークアウトが始まる。腕立て伏せ。至ってシンプルだ。唸り声と共にアプリケーションによって計測が進んでゆく。駄目だ。最近伸び悩んでいる。いくつかのセットがあるが、まず自己最高連続記録を更新してからの2セット目がしんどい。それにプロテインがない。届かない。佐川は何をやっているんだ。いいか働くんだ。ともかく、効率の低下はモチベーションの減退につながる。プロテインの飲めないおれはこのワークアウトを諦めた。気持ちの良いところで終えた。おれは自分の限界を知るためにやっているわけではない。身体を大きくしていくということは、即ち限界を日々超えていくことともちろん理解しているが、それが叶わない日だってある。それが佐川のせいであろうと、恋人と飲みすぎたのが原因であろうと、単に疲れていようと、とにかく駄目な時は駄目だ。だから、駄目なりにどうにかする。

 

   起き上がれない。いくつかのいざこざと、予定の変更におれは苦しんでいた。泣き出したい気持ちはとうに超えているが、涙はそう簡単に出てくれない。だがBGMや映画があれば大抵泣ける。涙は外からやってくる。おれは真昼から涙で枕を濡らした。おれのような冷血は、とりあえず気持ちが人並みに出れば自己満足できる。泣いたことに満足し、次にどのような手を打つべきか考えた。抗鬱剤は全く効いていない。だがおれには常にメンターがいる。今日ならそれはジョージ・レーゼンビーのジェームズ・ボンドだ。彼が白昼堂々と枕を涙で濡らすだろうか?おれはまるで想像がつかず、とりあえず泣くのはよかったが、もうやめとくことにした。こうしてすぐにやわらかい着地点に達した。さる新書の内容を拾い読みで把握し、得るものも無かったのでなぜ買ったか疑問に思いながら売るものリストに加えた。さあ準備だ。

 

   服が決まらない。おれも恋人のように脈々と同じような服装を受け継いでゆくべきだと思った。いつまでも物欲があり、いつまでも満たされず、繰り返されるのはうんざりだったし、笑顔の恋人を見るたびにヤフオクに張り付いている自分がバカらしくなった。だから前と同じコートを真っ先に手に取った。前と同じマフラーも手に取った。一つおれの打開策として、巻き方を変えることにした。顔の形、大きさ、首との比率、考えた末コートとの相性が抜群の会心の出来になった。決まった。

 

   家族とすれ違う。スエードは水を弾くね。と。嬉しそうに言う。ちゃんとしたものに然るべき準備を加えたのだから当たり前だ。何度も言ってやってるのに。手間のかかる奴だ。

 

   いつになったらあの女は来るんだ。変更に次ぐ変更、遅延に次ぐ遅延。おれは突っぱねさらに引き寄せ突きかえすつもりでしかなかった。ハンカチを忘れたので買いに行った。限りある選択肢の中からなるべく上品なものを選ぶ。女を泣かせるつもりだったから、これは大事な準備だ。涙が染みになるのを見るのはなお惨めだ。だから濃い色のものを選ぶ。ついでに買ったガムを食べようと包装紙を開けるとそれは飛び出し見事にベンチ裏に着地した。おれのスコアはいくつだ?ボンドはこんなことはしない。ようやくその時が来るまで、とにかくどうすることがあの女のためになるか、それだけを延々と考えた。数十分後、おれはハンカチのことは忘れ、女に向かって心から微笑んでいた。

 

   夢のような時間を過ごした後は、寂しいものだ。去り際を見つめる時の、充実感の中に佇む孤独を微かに感じる瞬間、それはいつもなんとも言えない気持ちにさせてくる。だがホームの向こう側にその人はいた。わざわざ携帯でやり取りをしながら微笑み合う。最後に手を振り合って、真に満たされた。

 

   ヘーゲルに関する論文を読んでいる。正反合程度は知っていたが、三分法という考え方はしかしずいぶん応用の効くもののようだ。だが今日は全く進めない。明日は早く、今日は遅かった。全く受けの良くない中東の香が燻る部屋の中で、今日の始末をする。いくつかのブーツを持っているが、どれも冬向きじゃない。秋だ。今日の外出で無残にも雪にやられてしまったレザーソールを乾かす必要があったし、ブラッシングもしなくてはならない。オールソールを検討する。チェルシーブーツにコマンドソール、面白そうだ。どうも風呂に入る気がしない。まだコロンが香っている。ジョーマローン、混ざり合う香の中、微睡みを湛えて。

広告を非表示にする

休学生の一日[day53]

朝3時20分に起きる。

   概ね寝起きが悪い。低血圧のせいだと思う。いつものメロディーが二重で掛かる。まるで布団ごと起き上がったかのように立ち上がり即座に止める。多分誰も気が付かない。そうやって起きる。すぐに布団に潜る。カーテンを開かずとも雪が降っているのがわかるのは、街灯がオレンジだからだ。あれは安上がりで雪道をよく照らすからだと、恋人と行った夜景スポットの説明書きに書いてあった。ふと何か音楽をかけたくなる。昨晩酷いことがあった。あの女。ともかくテンションがあまりにも低いので、paul buchananから適当に流す。煩い。iPhoneのスピーカーはクソだし、いつまでも落ち込んでるのも性に合わない。おれにはやることがわんさかある。だがいかんせん寒い。すぐに消す電気ストーブを全開にして少しの間布団から出られずにいる。

   理由を感じず起き上がる。3時30分。仕事がある。食パンにイチゴジャムを手早く塗りつけ食べる。均等に塗る意味はあったか?素早く噛みそして飲む。相も変わらず調子が悪いから、トリプトファンやアナバイトに抗鬱剤を摂取する。ヒートテックは結構あったかいと最近になって気がついたから、とにかくそれを着て、いつものアルパカ100%のニットを更に着る。コートは6つもあるが、どれ一つとして気分じゃない。だから暖かそうなジャケットを着る。と言っても一枚しか持っていないから、迷いはない。

 

   帰宅する。9時30分を回った所だ。一日の中で最も気合の入っている朝食を食べる。今日は日曜日で、何の日課もない。強いて言えば、今日はもう一食追加で食事を摂る日だ。週に一回は、単に太るための日が必要だ。初めはうまく食事すらできなかったが、プロバイオティクスを摂るようにしてからは少しずつ消化効率が高まってきたようで、2ヶ月で無理せず2kg増量した。午前は行きつけの図書館に行って、名言集を見て過ごそう。そう思った矢先、家族が同じ図書館に行くと見受けられた。失せるものがあった。身体に疲労が蓄積しているらしく、メールを確認し、RMTサイトに登録はしたもののちっとも売れないゲームアプリにログインだけして、すぐ横になる。

 

   起きたら既に15時になりかけている。もう無理だ。本日は終了した。大体そうだ。夕刻に目覚めることは一日の終了を意味する。義務教育は15時前後にその日を終える。そう、僕も終わった。雪は止んでいた。

 

   まだらな気持ちで、お湯を沸かす。ラッキーだ。インスタントの味噌ラーメンがある。これにチーズをかけて食べるのがうまい。まろみの相乗効果が化学味を抑えてくれる。沈殿したチーズをあらかた処理したところで、外で2~3本吸う。非喫煙者だが、時々吸いたくなることがある。冷えた日は燃焼速度が遅く、それなりに美味い。

 

   オプションを全て取り払った学習机には美術、物理、哲学、仏文学など、全てまともに手につけていたら何周もの人生が必要になる分野が揃っている。普通は選択することが大事なのだろうが、生憎おれには自分で制御できない人生の避けられない回り道があったから、それを取り返すだけの権利があるし、ここにある分をどうにかできるくらいの時間はある。間髪入れず数式に向かう。複素数。高校以来だ。文科系だったため触れてない部分もあるが、入門書ということもあり全て理解した。女から連絡が来る。我が儘な奴ばかりだ。それを微塵も感じさせない返答をし、上がらない気分を季節のせいにしてひたすら『初秋』を読んだ。私立探偵の主人公が劣悪な家庭環境から引き取った他人の息子を一人前に育て上げる物語だ。自分の思春期と重ね合わせてしまうものがある。そうこうしているうちに日は沈み、無性に食べたくなった醤油ラーメンを求めいつもの店に向かう。変化が欲しいという理由でダブルのコートに全く似合っていないキャップを被る。出がけに思う。ひどい。

 

   いつ開店してるんだ⁈今日もやっていない。もうこんなことが4度続いた。もうあの青くさい後味のするヘド身のあるラードメンなぞ食ってやらねえと毎度のように愚痴る。看板は機能しておらず、もはや下げられた丼がカウンターに並んでいることが奇跡としか思えなかった。代わりにいつものパン屋でいつものパンを頼む。駄目だ。今日は冷めている。死にかけのパニーニを咥えながら、おれは再び数式を解いた。簡単すぎる。こんなこと今すぐにでも終えたい。しかしこれは高等数学に入る前のストレッチなのだ。ストレッチを怠れば、柔軟性が損なわれる。そこから先は運悪く怪我なりなんなりすればいい。おれはもはや重症なんだ。だがそれより、おれは柔軟でないことが嫌いだ。だから、念入りにクソみたいに単純な数式を追い、新たな概念を理解した。 

 

   明日は仕事がない。9時まで寝ていられるから、三たび数式に向かう。とにかく、寝るまで数式に向かう。物理屋は寝ている間に数式を解くという。おれは空を飛んだことはあるから、この辺に関してはなんとかなる。乗ってきたから、ウイスキーをストレートで流し込む。不味い。ウイスキーは諦めるから、林檎の味は乗せてくれ。そうヒステリックに叫ぶ女の声が聞こえてくるようだ。ブラインドアーチャー、スパイスド アップル。

 

   昼からは恋人に会う。だから、リプライセルをふた袋流し込み、寝香水にエルメスのナイルの庭を腰に吹き付けた。青みのある香りで、冬空に溶け込んでしまいそうな嫌味のなさだから、いくらコロンの長持ちするおれとは言え、出がけにもう一度重ねる必要があるだろう。

   

   電気ストーブの灯が消えるには、まだ時間がかかりそうだ。

 

 

 

広告を非表示にする